忘れること 2008/3/12 印刷用はこちら
忘れるというのは、物事に関する記憶がうすらいで、意識の外に消えてしまうことですが、これは、人間が生きてゆくうえに、まことに味わいの深い現象です。忘れる作用がなければ、この世はずいぶん息苦しいでしようが、幸いにも忘れる作用のおかげで、生きるうえの苦しみから救われていることが多いようです。
一昨年の台風15号は、洞爺丸の沈没などもあって、人々を恐怖のどん底へぶち込みましたがあの夜のことを、今多くの人は忘れているでしょう。忘れぬまでも、極度に緊張した警戒心と戦慄は、うすらいでいるでしょう。その証拠にこの頃では、ラジオが低気圧の襲来を伝えてもあんなことはよもやまたとあるまいという顔でのんびりしているではありませんか。
身の上の病気、貧乏、災難などについても、のどもとすぎれば熱さを忘れると、昔から言われている通りに、時がたてば当時の苦労は忘れてしまい、次にまた苦労に陥いるまでは、のほほんと構えています。周囲をふり返って見ると、こういう事例は、いくらもあります。
余計なお節介のようですが、はたで見ていてあの人はあれでいゝのかなと、気をもむようなことでも、当人は一向気にならぬらしく、天下泰平の顔付きです。
大体人間の生涯は、いろいろの体験の積み重なりですが、それは、辛いこと、悲しいこと、情ないこと、恥しいこと、くやしいこと、憎らしいことなど、さまざまの感情でいろどられています。もしその体験について、その感情から生涯ぬけきれぬとしたら、人の一生は全くみじめなものですが、忘れる仂きが、そこをうまく調節しています。
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ところで、忘れることは、人間の生活をのびのびとさせたり、浄めたりする作用をしますが、逆に、人間を汚したり堕落させる作用をするものです。過去の苦境を忘れて、身のほど知らぬ奢りにふけったり、人に助けられたことを忘れて、人を見下げたり、受けた恩を忘れて、恩を仇で返すようなことをするのは、とりもなおさず忘れることがその人を汚している例です。
なぜならば、そういう行為は、人の道に外れていることであり、人間としての正しい生き方でないからです。そこには人間性の尊さが見られぬからです。私等が信心をして、信心のどこが一番ありがたいかといえば、信心が、人間の正しい本当の生き方を知らせてくれるという点でしょう。目先きの困っていることを助けてもらうことだけがありがたいのではつまりません。生活全体にわたって、どのようにしたらよいかということを、生神金光大神の御取次を頂いて分らせてもらい、それに基いて生きてゆくところに、おのずから仕合せがむくいられるので、こういう生き方を教えてもらえることが、何よりありがたいのです。道に基いた生き方を妨げるような作用をするものは、捨てもし忘れもせねばなりません。それに囚はれていては、正しい道がふみ行えず、汚れるばかりです。
忘れるということは、生きてゆく上に味わいのあることですが、人生には、忘れる方がよいこともあれば、忘れていけないこともあります。そこの区別をはっきりわかることが必要です。ところが情ないことに人間は、忘れてならぬことをよく忘れ、忘れる方がよいことを忘れないのが実情です。よく内省せねばなりますまい。
<昭和31年5月31日>
灯 巻頭言集Tより抜粋
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