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昭和2年10月5日 函館市大字亀田村内一番地所在の家屋(20坪1合3勺)を借り受け、金光教万年橋布教所の名称で予備布教に従うため、この日開教式を行う。
昭和4年10月24日 予備布教の個所に於て、金光教亀田小教会所設置の件、許可される。(北海道庁長官池田秀雄)この件について官長認可8月17日。
昭和4年12月30日 函館市大字亀田村字村内2番地の19所在の宅地、107坪8号2勺を教会用地として購入。
昭和5年5月19日 前年末購入の敷地内に強化意表建物(45坪7号2勺)建築の認可を受けて着工、6月竣工、6月30日夜、遷座祭を奉仕。
昭和5年9月15日 都市計画にかかわる、土地の名称および地番の改正実施により、函館市大字亀田村字村内2番の19を、2番の19および2番の93に分筆し、前者を宮前町1番地、後者を松川町117番地の1と呼称、教会建物は両町に跨って所在することとなり、市の指示により、松川町所在と表示することとなる。
昭和16年3月 宗教団体法の制定に伴う、金光教々規制定せられ、これより以後は、金光教亀田教会と称することとなる。
昭和48年7月19日 教会後継者として、橋恵美子師を入籍して、村恵美子と改姓、在籍教師として勤務、現在に到る。
昭和52年10月16日 布教満50年記念祭を奉仕。従来は布教記念日当日行う慣例なるも、親教会長矢代先生が、布教部長として本部教庁に御出仕のため、期日を変更して奉仕する。
昭和55年7月2日 初代教会長村光正先生が78歳の生涯を終えて帰幽。
昭和58年5月24日 初代教会長の信仰碑を教会前庭に建立除幕式を奉仕。
(碑文)
師ありて われあり 師に報ゆるを 願ひとす

                         
   信仰碑 初代教会長御夫妻
平成3年2月7日 初代教会長夫人村敏子氏84歳にて帰幽。
平成9年10月5日 金光教大神大祭および並びに布教満70年記念祭奉仕。